頭上から降ってくる蝉の声に、些かうんざりしながらも、私は本堂の縁側に座ってアイスを齧りながらぼんやり外を眺めていた。
寺の境内は、蝉の声と蚊取り線香の匂いに満ちていて、時折風鈴の音が涼しく鳴っているのが心地よかった。
世界が、私と蝉と線香の匂い、風鈴の音、そして暑さだけで出来ているような気がした。
境内は、周りを木で囲まれていて、地面に影をつくっていた。
私は、なんとなくその影を見つめていた。幼い頃、よく兄と姉がこの境内で遊んでくれた。そのときよく影踏みをして遊んでいたことを思い出す。
私はよく兄や姉に、何故影は一緒についてくるのかと尋ねていた。そのたびに、2人に困った顔をされていた。
今思うと、なんとも馬鹿馬鹿しい質問だったが、そのときの私はまだ3歳だったのである。
私は何時しか物思いに耽っていたらしい。ふと何か違和感を感じた。
私が見つめていた影が、なにやら蠢いている。いつの間にか風はやんでいて、そこだけが何故か揺れているのだ。
なんだろう?そう思って、さらに見つめていると、突然大きくうねりだした。
突然のことに私は思わず
「うわっ」
と、小さく叫んでしまった。
「なにあれ・・・何か気持ち悪い」
その影は段々と形になっていく。
私は初めは驚いたものの、次第に慣れてきたので、そのままじっと影の様子を窺った。
すると、影は人の形に変形した。だが、まだ不完全らしく真っ黒い人形のようだった。
暫くそこに立っていた影は、辺りを見回し始めた。そして縁側に座っていた私に気が付いたようで、こちらを向いて様子を窺うようにじっとしている。
体は波をうっているが風はない。風で動いているわけではないようだった。
私は、ずっとこの状態なのも嫌なので、溶けかけたアイスを傍に置いてあった皿にのせて縁側からおりた。
私が影に近づいていくと、影は動揺したように大きく波うった。そんなことはお構いなしにどんどん影に近づく。
相変わらず風はやんでいて、暑さばかりが増してゆく。
影の前まで来たとき、突然頭の部分が異様に伸び縮みしたかと思うと、ぽっかりと口が開いた。
口の中は真っ暗で何もない。私に何か言おうとしているらし。
影が何か言い出すのを待っていたけれど、言葉は言葉にならず、どうしようかと考えているようだった。
暫く待っても何も言わないし、流石にこのままなのも嫌だったので私から話しかけることにした。
「あなたは一体何?」
我ながら単刀直入すぎただろうか・・・もっと気の利いた台詞とかあるんだろうけど今更遅いだろう。
「・・・・!」
影はいきなり話しかけられて動揺しているらしい。
「あー・・・、じゃあ質問かえる。あなたは幽霊とか妖怪とかそういう類の人?」
こいつが人ではないのは明らかだったがついそう言ってしまった。
「・・・・・・チガウ」
!!!
今度はこちらが驚いてしまった。
そう言うものの、傍から見たら至って冷静に見えるだろう。
「じゃあ一体何?」
「・・・・・・・・・・カゲ」
それは分かっている。
「うん。それは見れば分かるんだけどさ。えーっと・・・そう!何で影が一人で動けるの?」
「・・・・・・・・・・・・・コウヅキ」
「コウヅキ?あなたが動いてるのと何か関係あるの?」
影は静かに頷いた。
「・・・・コウヅキ・・・・・ガ・・チカヅいてる・・・・だから・・・・・・・まもる」
影が言っていることは全然意味が分からなかった。
兎に角何かが近づいているらしい。
言葉もはっきりしてきているし、そのうちコウヅキのことも何か分かるだろう。
「ところで守るって誰を?そのコウヅキから守るってのはなんとなく分かるんだけど」
影は揺らめきながら、静かに私のほうを指さした。
私は念のために後ろを振り返るが誰もいない。
「あー・・・これは、私のことを指している?」
影は当然とでも言うように頷いた。
「どうして私なの?他にも人は沢山いるのに。コウヅキが近づいてるなら皆を守ったほうがいいんじゃない?」
影はその必要はないというように、首を振った。
「コウヅキが訪れるのは、陰踏みをした人間だけ。そしてその陰踏みをしたのがお前」
影はもう普通の人間のように話せるようになっていた。
「でも影踏みなんて誰でもやるじゃない。それにあれは一人じゃ出来ない遊びだし」
「その影踏みとは違う。まず漢字が、その遊びのものとは異なっている。陰陽師の陰の字を書く」